リーダー

リーダーです。

幼少期より、容姿に恵まれていた訳でもなく、体躯に恵まれていた訳でもなく、頭脳に恵まれていた訳でもなく、と言う凡庸なギフトのみ与えられたワタクシであるが、齢50歳にして振り返ってみると、中々に人生を味わう事が出来た様に思えている。

この様に書くと、凡庸な男が自己肯定しようと必死になっている様だが、寧ろ逆で、ワタクシの様な凡庸な人間でも人生を味わえると言うのは、生きるという行為は中々趣深い、と思う。

 大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに、慎み深く従順である様にと弱さを授かった。

より偉大な事が出来る様にと健康を求めたのに、人生を間違わない様にと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに、 賢明である様にと貧困を授かった。

世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、 神様の存在に自分が気付ける様にと弱さを授かっ
た。

人生を楽しもうと沢山のものを求めたのに、 あらゆる事を楽しめる命を自分は既に授かっていた事に気付いた。

求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。

自分は神様の意にそわぬ者であるにも拘わらず、心の中を言い表せない祈りは全て叶えられた。

私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されていたのだ。

上記は、ニューヨークの物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられている作者不詳の詩(?)とされ、中々に良い言い回しだと記憶に残っていた(ネットでは様々な訳があるが、英訳としては上記が正しいかと思う。確か、南北戦争時代の無名兵士の葉書の一文だった様な・・・・)。

いや、正直に言うと、ワタクシと言う人間は何かを求めたと言う事は然程なく、寧ろ早い段階から諦念があった様に思うのだが、自分が恵まれぬ環境に居る、との被害者意識は無かったのは、両親の教育なのか、様々な経験によるものなのかは定かではない。

ともすれば、そりゃあアンタが充実してるって事だろうよ、と言われるかもだが、幸運に恵まれた、と言う事は無いと断言出来る。

ただ、多くを求めなかったし、誰かの所為にしなかったし、は、あった様に思う。

逆説的な言い回しだが、そう言う性格に育ったと言う事は、幸運であったのかも知れない。

兎角政治家に嚙みついている人を見たり、「自分の基準に合わないものは全て悪」と言うプロクルーステースを地で行く共〇党みたいな人なんぞを見ていると、自分とは相容れぬお方よのう、と、見ていて恥ずかしくなってしまうのと同時に、ちょっと感心すらしてしまう。よくもまぁ自分が正しいと信じ切れるものだ・・・・。

と、こんな話で始めたのは、コロナ禍でバンドが休止したり在宅が当たり前となったりして、その不満がない訳ではないのだが、その一方で、平日の昼食で買った近所の魚屋さんのお弁当が大変に美味しかったり、ふと散歩中に見付けたやる気が一切感じられない精肉店のコロッケが大変に美味しかったり、最近また近所に美味しい中華料理店を見つけるに至り、そんな出会いに恵まれるとは、
人生の味わいとして大いにありだなあと改めて思ったからである。

余談であるが、コロナ禍による在宅勤務の当初、生活ペースが掴めず食生活が乱れたワタクシは体重が増えたが、(コンビニ弁当を止めて)商店街のお弁当屋やお惣菜を頂く様になってから体重が落ち、コロナ禍以前より減ったのは面白い事実に思う。特段、痩せる努力などしてはいない事に加え、食事量は寧ろ増えたと言える程なのになぁ・・・・。

今のワタクシのBMIは21ちょっと。適正体重からは3kg程少ないが、「痩せてますね」と言われる体型ではない。中肉中背。

在宅勤務で、仕事量は増えたとは言え食事のリズムは一定となり、規則は正しい。

規則ある生活していると、落ち着く所に落ち着くんじゃあないかと言う気が、最近している。

おっと、閑話休題。

所謂「下町」に居を構えるワタクシは、そんな訳で下町の商店街に馴染みのお店が幾つか出来たのだが、歴史ある街で面白いなと思うのは、話はするが打ち解けぬその姿勢である。

馴染となったお店の人と時折街中で会えば挨拶はされるし、時にオマケなんかもされるのだが、打ち解ける感じはない。そしてその距離感は、なんとも心地良いのである。

もちろん例外もあって、物凄く気を回してくれる精肉店の女将さんとか、散髪屋のお兄さんなんかとは打ち解けた話をするのだが、これは商店だけでなく、例えばワタクシが土曜日に行った歯医者さんなんぞもそうなのである。

そう、僕は歯医者さんに行ったのである。

歯医者さんには定期的に行くようにしている。理由はまぁ色々あるが、まぁ、年に1度は検診的に行こうと思っている、が、コロナ禍と言う事もあり昨年は自粛していたのであるが、流石にそろそろ行っておこうと予約し向かった土曜日。

気付かなかったが虫歯が1本あり、治療と相成る。

歯医者「(被せ物を削りながら)痛くないですか?」

リーダー「ふゃいあいおぶです(はい、大丈夫です)」

歯医者「
(被せ物を削りながら)沁みたりしませんか?」

リーダー「ふゃいあいおぶです(はい、大丈夫です)」

歯医者「・・・・ふーん、じゃ、遠慮なく」

リーダー「えっ?」

てか、遠慮なくって・・・・。ま、別に痛くなかったけど・・・・。

歯医者を終え、薄曇りの帝都へ散歩に出掛ける。暑くもなく、寒くもなく、本当に心地良い気候。

帽子を被る心算で整髪せずに出掛けたが、帽子を被り忘れると言う失態。秋葉原の帽子屋さんで沖縄絣の帽子を買う。通気性が良く、夏場は活躍してくれるだろう。

御茶ノ水へ向かう道中の公園で、馬(と言うかポニーか)が草を食んでいた。

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神田明神で飼っているポニーかと思う。散歩してるのね。

梅雨を前にして、紫陽花やドクダミが咲いていた他、クローバーの花も。

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クローバーって、シロツメクサかと思うのだが、記憶では白い花で形も違ったが、茎を辿るとピンクの花は確かにクローバーであった。色んな種類があるのかしら・・・・?

尚、故郷の北海道は小樽市では、紫陽花は秋口に咲き、9月に帰省すると1年で二回見るのがお約束になっている。今年は小樽で紫陽花が見たいなぁ・・・・。

楽器屋さんは思いの外の盛況っぷりで、毎週来ているワタクシは邪魔になろうかと自粛。1件、ちょいと広めの楽器屋さんで興味があったUSA製のCasinoを見掛けちょっと欲しくなる。



この、ロイヤルタンって色、好きなんだよなあ・・・・。

(Casinoと構造が同じ)AT130があるので買う気はないが、良いギターだなって思いました。

Casino繋がりで、マットフィニッシュのオリーブ色のCasinoはやっぱり格好いいと思う、うん。



ギターは、必要な本数(必要な本数と言うのもそもそも怪しいが)持っていても欲しくなっちゃう訳で、後付けの理由付けてでも買っちゃう事がある訳だが、買ったら買ったで調整だの改造だのを考えるととても憂鬱でもある。

特に最近は、ステンレス・フレットがマストな感じになってて、それを思うと工数、時間がとても面倒だったり・・・・。

と言うか、ステンレス・フレット交換でNaked Guitar Worksに現在2本預けており、それが仕掛になっているのに更に1本買うとか・・・・無いよなぁ。

場所を淡路町に移し宮地楽器さんへ突撃。

好みの時代のCE-2にOD-1が2台売っており、リーダー・ホイホイと化してしまって暫し迷うも購入せず。箱付きだったら買ってただろう。

そう言えば、LeqtiqueのBerylが最近気になってて、見掛けたら試してみようかなと思うもすっかり忘れてた・・・・のを帰宅して思い出しました、はい。

My Bloody Valentine特集のギター・マガジンを購入。

シュー・ゲイザーのギターの音ってそんなに好きじゃないのだけれど、インタビュー読んで好みじゃない理由に合点がいった。自らの音をサンプリングして作り込んだあのサウンドは凄いなぁと思いつつ、アタック音が無いサウンドは、ギターな感じがせず、Kevin Shieldsが「メロトロンみたいな感じ」と言うのは「ああ、成程」と思った。RickenbackerだのJaguarだのが好きなワタクシにとって、アタック音が聞こえないギターのサウンドは、模範したいサウンドではないのだろう。あ、My Bloody Valentineは大好きです。

それにしても、ギター・マガジンで
Kevin Shieldsを特集するって中々趣深い一方心配にもなる。

ギター・マガジン読んでて、時々「編集方針が高年齢過ぎやしないか?」と思う事があるのだが(と言うか多いのだが)、
今の若人にとってKevin Shieldsはどんな存在なのだろう。出来れば、若い人達にリーチする編集方針にして若い才能を刺激して欲しく思う。温故知新も過ぎれば老害だろう。

ぶらぶらと遠回りしながら帰路に付く。其処此処に古い家が残る街並みは散歩してて気持ち良い。

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青銅の様な外壁の家も、昔はモダンな作りだったのだろう。此処にどんな人が住んでて、どんな生活をしていたのだろうか、等と考えながら歩くと、すっかり見慣れた街も退屈はしない。

帰宅し、家人がバタバタしてたので久しぶりに夕食でも担おうか、と取り出すは五島素麺。

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馴染にさせて頂いている海苔屋さんで購入してみた。海苔と一緒に冷たい素麺を頂こうかと思ったが、温麺にしてみる。

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うん、美味しい。

素麺は昔は苦手だったが、最近好きになった。軽くてさらっと口に出来るのが良い。舞茸が無く木耳で代用したが、やっぱ舞茸入れたかったのが心残りである。

夕食後、此処最近色々と弄っているRickenbackerは1997の調整をしてみる。

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楽器のメインテナンスの本を読むと、デフォルトな設定が書かれているが、個人的には眉唾だと思っている。

権威付けられた「デフォルト」と違う設定にすると言うのは中々勇気が要るものだと思うが、以前バンドの飲み会(正式活動とも言う)で、ベースの大先生(だったかな)に、とある医大がとある長寿な地区で老人達の健康状態を調べてみたら、デフォルトとよりも高血圧だったので血圧を下げる薬を投与したら老人達は逆に体調が悪くなった、なんて話を聞くに、デフォルトと言うのは可成り疑ってかかるべきじゃあないかとやっぱり思う。

1997のみならず、手持ちのギターの弦高を最近弄っているのだが、

①ネックはストレートに設定。場合によってネック角度を調整
②アンプを通して弾いてビビらない限界まで下げる(生音では結構ビビる状態)
③そこから、生音で自分にとって適度なサスティンが得られるまで上げる
④再度アンプに通し、開放弦と押弦した時のサスティンをチェック
⑤ピックアップの高さを調整
⑥オクターブ調整

との流れが、好ましい設定に出来るなと最近気付いた。

②の状態だと、アンプを通した時に開放弦が暴れる感じで、押弦したフレットと開放弦のサスティンが違い過ぎて気持ち悪くなる。

デフォルトで言われる、6弦は1.5~1.8㎜、1弦は1.2~1.5㎜、との設定だと僕には弾き難い。ギターによって違うが、1997の場合は6弦1.2㎜、1弦1㎜を少し下回るくらい。可成り強く弾くと生音でちょっとビビる程度。Mastery Bridgeなので各弦の微調整は出来ないが、特に不便はない。尚、手持ちの他のギターも大体同じ位となっている。

楽器屋さんとかに行くと、特に6弦側のブリッジ・サドルが限界まで下がっているのを見掛けるが、弦高が高過ぎるからじゃないかと思っている。

と、そんな事して過ごす時間は大変に有意義で、楽しくてならぬのだが、家人に「ギターのメインテナンスしてる時、チブル星人みたいな顔してる」と言われて以来、家人の前ではやり難くなった。



「アンドロイド0指令」は名作だよなぁ・・・・と言うか、なんで家人がチブル星人知ってんだ?

ウルトラセブンは今見ても結構凄いなぁと思うシーンがある。「第四惑星の悪夢」なんかは、マトリックスの何十年も前にこんなシーンがあり、ちょっとどうかしているレベルだと思う。



「人間が淹れる珈琲は何故毎回味が違うんだ!」って台詞があったと記憶しているが、短い台詞に設定が分かる内容が詰め込まれていて、詩的で良いなあと思う。

翌日曜日は所要がてら少し歩いたが5km程で消化不良。8km位が適度に疲れ丁度良いのだが・・・・。

所用でSugardropのライブに行けなかった事も消化不良であったが、配信には間に合ったので視聴。配信でもやっぱり格好良いなぁと思った。ライブ行きたいなぁ。

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大好きな「Love Scene」も聞けたし、満足に御座います。

そんな休日に御座いました。